台北観光カテゴリの記事一覧

台北101

台北101(たいぺい-)は、中華民国台北市信義区にある超高層ビル。高さ508mで、地上101階+地下5階からなり、名前はこれに由来する。中国語ではタイペイ イーリンイー(注音: ㄊㄞˊ ㄅㄟˇ ㄧ ㄌㄧㄥˊ ㄧ、拼音: Táiběi Yīlíngyī)という。

建設段階の名称は「台北国際金融センター(臺北國際金融大樓)」。7年間の工期を経て、2004年に世界一の超高層建築物として竣工した(アラブ首長国連邦で建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」の高さが2007年8月12日、531・3メートルとなり、世界一の超高層建築物の記録を樹立した)。設計は李祖原建築事務所、施工は熊谷組を中心としたJVにより行われた。総工費は約600億元。

2004年12月31日、エントランスでオープンを祝う式典が催され、陳水扁中華民国総統も出席してのテープカットが行われた。また、2005年12月31日の大晦日にはこのビルのある市政府で、カウントダウンイベントが行われ、台北101から電飾と共に2分強の間、「節」などから大量の花火が打ち上げられた。


15年黒金老茶
約150年前(西暦1841年)に、台湾で烏龍茶作りを始めた林(リン)さん一家の末裔、4代目になります。
台湾では、いまから約150年前、台湾から中国に役人試験を受けにいく、ある若者がいました。林鳳池という人です。
その人が、台湾から役人試験を受けにいくために、資金援助をしたのが林さん一家の1代目です。(現在の4代目の曾祖父に当たる方です)
その試験を受けにいった林鳳池さんが、お土産として、中国からお茶の樹12本を台湾に持ち帰りました。 それを旅の資金を提供してくれた1代目の方にお礼にあげたのです。
そこから、台湾の烏龍茶作りが始まりました。。。。
その茶樹を凍頂に植えて、凍頂烏龍茶が摘まれ始まるのです。
台湾烏龍茶の元祖である林さん一家の4代目は、現在も凍頂で烏龍茶を生産し、近年では貴妃茶という新しい凍頂烏龍茶の開発にも成功しています。
当店では、この林さんが作った凍頂烏龍茶15年もの陳年烏龍茶30年もの陳年烏龍茶を現地から直輸入で仕入れてご紹介させていただいております。



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故宮博物院

台北で必ず見学して欲しい場所が故宮博物院です。
故宮博物院(こきゅうはくぶついん)は中国の歴史的遺物を多数、所蔵・展示している博物館であり、以下の3か所にそれぞれの施設がある。なお、台北の國立故宮博物院の所蔵品は北京の故宮博物院が元来所蔵していたものである。

中華人民共和国の首都・北京市−故宮博物院(紫禁城)
中華民国の首都・台北市(台湾)−國立故宮博物院
遼寧省の省都・瀋陽(中華人民共和国)−瀋陽故宮
故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。

その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきた為、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品が上海経由で南京市に運ばれた。国民政府は南京市内に所蔵倉庫を建てて故宮博物院南京分院を設立したが、1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきた為に、所蔵品は再び運び出されて四川省の巴県、峨嵋山、楽山の三箇所に避難させられた。

第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になった為、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。これによって誕生したのが台北市の國立故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の二箇所に別れて展示されている。

なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示されている。


景徳鎮 青花開花光花鳥紋八方梅瓶 B1-5 46cm


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